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日本プロ野球OBクラブ ファン交流企画を開催「川相昌弘・中根仁とオンライン野球観戦しよう!」

プロ野球選手は現役引退後、指導者や球団職員または野球から離れて新たな職に就くなど、それぞれのステージで活躍の場を広げている。

ユニフォームを脱いだ後でも、幼少期から続けてきた野球への愛情が衰えることはない。野球へ恩返しするために今も各地で様々な活動を行っている。

今回はそんな情熱を持った野球人が集まっている「日本プロ野球OBクラブ」の活動について特集する。

日本プロ野球OBクラブ(以下、OBクラブ)は1994年4月に発足。野球教室や講演会・ファンとの交流イベントなどを年間通じて開催し、野球の普及啓発活動を行っている公益社団法人である。

OBクラブの会員は元プロ野球選手を中心に、その他審判やウグイス嬢などNPBの活動に関わったことのある人々で構成され、現在約1,300名が所属している。

会員の中には長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督や王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長も在籍しており、日本のプロ野球界を彩ってきたスター選手たちが名を連ねる。

発足から昨年までの26年間、”野球に恩返し”を合言葉に往年の名選手たちが全国各地で普及活動を続けてきた。

ただ、今年3月に入り新型コロナウイルスの影響で開催予定だったイベントは全て中止。以降自粛期間を経て、7月に1度ファンに向けたオンラインイベントを開催した。9月末より本格的に再始動する予定である。

7月、会員向けオンラインイベントを開催

これからの再始動に先立ち、今回は7月2日に開催されたOBクラブ主催のオンラインイベントの模様をお届けする。

元プロ野球選手の川相昌弘さん(元巨人-中日)・中根仁さん(元近鉄-横浜)をゲストに迎え、当日行われた巨人vs横浜DeNA(東京ドーム)の試合をテレビ観戦しながらファンと交流する企画「川相昌弘、中根仁と巨人-横浜戦を観戦しよう!」である。

このイベントはオンライン会議システム「ZOOM」を用い、ファンクラブ会員30名限定で行われた。

MCはオリックス・バファローズのスタジアムアナウンサーも務めた藤生恭子(ふじう きょうこ)さんが担当。

▲MCを務めた藤生恭子さん

中根さんが2歳上の川相さんに「先輩すみません!」と気を遣いながらも「大好きな野球の話で盛り上がっていきたいと思います。楽しみましょう!」という挨拶でイベントがスタートした。

ブレイク直前の岡本和真選手が見せた姿勢

イベントは川相さんと中根さんのフリートークで進行し、お互いの現役時代や指導者時代のエピソードを披露。

中継では巨人の4番・岡本和真選手が打席に立つと藤生さんから川相さんに「岡本選手はどうだったんですか?」と質問が飛んだ。

川相さんは06年の引退後は07年から10年まで中日ドラゴンズで、11年から18年までは巨人でコーチ・2軍監督を務めた。

岡本選手は智弁学園(奈良)から14年ドラフト1位で巨人に入団。川相さんとは18年まで同じユニフォームを着ていた。

接点は多くなかったという川相さんは、17年秋季キャンプ時でのエピソードについて話してくれた。

「彼は入団して1年目の終盤に1軍に上がって、僕はヘッドコーチとして見ていました。

その後、私が3軍監督になってからは岡本選手は2軍だったので接点は少ないのですが唯一あったのが2017年の秋季キャンプ。

当時1軍で守備コーチだった井端(弘和)コーチが侍ジャパンに行くので僕が代わりに担当したんです」

岡本選手は1年目の15年、優勝争い真っ只中の9月に1軍昇格し17試合に出場。しかしその後は伸び悩み、以降2年間はそれぞれ3試合、15試合の出場に終わっていた。

球団は将来の4番として育てるため、このキャンプでは打撃だけではなく守備も徹底的に鍛えさせた。

世界記録を持つなどバントのイメージが強い川相さんだが、ゴールデングラブ賞を6度獲得した守備の名手である。

「レギュラーを獲るには守備力を上げないといけない。打撃をよくするために守備で足腰を鍛えて、その下半身を打撃に活かそうということで取り組ませたんですよ」

▲17年のキャンプ時の話を披露する川相昌弘さん

川相さんは、その時の守備に対する意識から岡本選手への可能性を感じていたという。

「内野陣を担当する中で彼が一番喰らい付いてきました。あまりに喰らい付いてくるし、僕も『将来の巨人の主力にしないといけない』と思ったので、他の選手の練習が終わってからさらに1時間、守備をマンツーマンでやりました。

周囲は『やるのかやらないのか』って中途半端な評価だったけど、僕はキャンプのあの姿勢を見たら『ブレイクするんじゃないかな』って期待はしていました」

猛練習の甲斐もあり、翌18年は阿部慎之助選手(現:巨人2軍監督)との熾烈なレギュラー争いに勝ち開幕から6番・一塁でスタメンに定着。

6月からは4番を務め、史上最年少(22歳3か月)で打率3割・30本塁打・100打点の快挙を成し遂げた。昨年も4番として31本塁打・94打点をマークし、リーグ優勝に貢献した。

「そこ(レギュラー定着)から今年3年目になりますけども、頑張ってやってくれているので(17年の秋季キャンプは)無駄ではなかったなと思っています」

梶谷隆幸選手へのゲキとは?

川相さんの話に引き続き、藤生さんから中根さんにコーチ時代の質問が。

中根さんは03年に現役を引退。06年から13年まで8年間、ベイスターズの1・2軍で打撃コーチ、兼任で外野守備走塁コーチを務めた。※10年までベイスターズ2軍は「湘南シーレックス」

当時指導していた選手の話題になり、この試合に出場していた梶谷隆幸選手についての思い出を語った。

梶谷選手は06年に開成高校(島根)から高校生ドラフト3巡目で入団。12年から1軍に定着し、13年には規定打席不足ながら打率.346、16本塁打とブレイク。

翌14年には39盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。ここ2年は故障もあり出場数を減らしたが、今シーズンは開幕から主に1番打者を務めるなど好調を維持している。

中根さんは2軍打撃コーチとして関わったプロ入り時の印象が今でも忘れらないという。

「07年2月1日のキャンプインは忘れられないですね。足は速かったんですけどもあまりに線が細くて。打撃コーチをやらせてもらってたんですけども『中根、梶谷どうするの?』って周りに言われましたもん」

▲梶谷選手への想いを語る中根仁さん

衝撃から始まったプロ1年目のキャンプ。壊れることを覚悟で猛練習を課した。その当時の想いがあると語った。

「高校卒業して梶谷(プロでは)無理かもって思ったんですけども、キャンプでめちゃくちゃ(練習を)やらせたんですよ。僕は本人の前で知らんぷりしてましたけども『カジようやるな…』って思ってましたよ。

翌日もキツイことやらせるんですよ。俺だったら無理だなって練習をやらせてついてきてくれたんですよ。そういうのを経験しているのでカジを応援しているんですけどね」

徐々に頭角を現し、13年途中からついに遊撃手のレギュラーに。翌年から外野を守り、17年まで5年連続2桁本塁打を放つなど長打力に磨きをかけた。

しかし、プロ入り時から指導してきた中根さんは、梶谷選手の打撃スタイルに物申す。

「僕は足を活かす打撃をして欲しかったんですよ。言い方悪いですけどホームランを打ちに行くスイングに変わっていったんですよ、僕がユニフォーム脱いでから。

『お前勘違いするなよ』ってずっと思っていたんです。足を使ってかき回す選手というのがベイスターズは少ないので、『こうやってチームの勝利に貢献する打者なんだよ』って指導していたんですけどもね」

中継では中根さんが話したその時に梶谷選手が盗塁。ベイスターズにとってはチーム初盗塁だった。これを見てすかさずコメント。

「こういうところですよね。相手が『梶谷走るんじゃないか』って警戒している中で相手投手に甘いボールを投げさせる。チーム初盗塁ですよね?僕こういう打者だと思ってたんですけど、今年はまさにそうだと思います」

ファンからの質問

会も終盤に差し掛かり、最後は参加者からの質問コーナーに。

その1つに「打席で配球を読む時にどんなことをヒントにしていますか」という質問が寄せられた。

「すごいいい質問ですね。僕も川相さんの聞きたい!」という中根さんの問いかけから、まず川相さんが解説した。

「プロは何回も同じ投手と対戦するので、ある程度投げる球種や球速を分かっています。その中で投手の持つ球種が5種類くらい持っていても、実際にカウントを取ってくるボールというのは2種類くらいが中心だと思うんです」

と説明し、かつて対戦した山本昌投手(元中日)との対戦を例に挙げた。

「例えば山本昌は長いこと対戦しましたけども、彼は自分が不利なカウントの時にシンカー系(右打者の内側に沈む変化球)のボールを真ん中低めに落としてくるんですよ、1ボールとか2ボール1ストライクとか打者有利のカウントの時に。

彼は追い込んでから投げるシンカーとは少し違うんですけども、長いこと対戦していると、『このカウントの時ではこのボールでカウントを稼いでくるんだな』と大体分かってきますね」

打席で配球を読むだけではない。野球をするにおいては必要な能力があると付け加えた。

「野球って同じ状況ってあまりないじゃないですか?各イニングごと、走者の有無などで状況が刻々と変わってくるので、それを考えたら常にどういう状況なのかを判断する能力が大事です。

『この場合ならどうする』『このケースではどんなプレーをするか』という自己判断が重要になってくると思います」

続いて川相さんから「中根さんはどうでした?」と質問が。中根さんもこの話に納得しながら答えた。

「僕も川相さんと一緒ですね。風や球場の広さ・相手投手もそうですし、ワイルドピッチで進塁したりとか1球で大きく変わるので。状況判断ってすごい大事ですね。

これって若い時はなかなか難しいのですが、ベテランになって試合経験すると瞬時に考えられるようになってくるんですよね」

2人からのメッセージ

1時間半のイベントは2人の軽妙なトークで大盛況のまま終了した。藤生さんから最後に一言お願いしますというリクエストにそれぞれコメントした。

川相さん

「6月19日にプロ野球が開幕し、進み出したというのは僕らも嬉しいですし、ファンの皆さんも楽しみにされていたと思います。野球が盛り上がって世の中も一緒になって盛り上がってくれたら最高だと思いますので、楽しんでいただいただけたら幸いです」

中根さん

「皆さま今日はありがとうございました。僕も楽しませていただき、感謝しかないです。これから私も様々な企画も考えてやっていきますので、これから活動が広がっていければと思います。今後ともよろしくお願いします!」

☆川相昌弘(かわいまさひろ)

1964年9月27日、岡山県岡山市出身。岡山南高校を経て1982年ドラフト4位で巨人に入団。90年代は主に2番・遊撃手として活躍した。

03年には当時のバント世界記録(511)を更新し、ギネスにも認定。積み重ねた533犠打という記録は今も破られていない。04年に中日へ移籍し、06年に引退。その後18年まで2球団でコーチ・2軍監督を務め、現在は野球評論家として活動している。

☆中根仁(なかねひとし)

1966年8月28日、宮城県仙台市出身。東北高校、法政大学を経て、88年ドラフト2位で近鉄バファローズ入団。俊足・強打の外野手として1年目から10本塁打を放つなど、いてまえ打線の一角を担う。

98年、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に移籍。マシンガン打線の一員として38年ぶりの日本一に貢献した。03年に引退後はスカウトを経て、06年から横浜/DeNAでコーチを8年間務めた。

現在はアスリート総合応援サイト『アスリート街』を運営し、アスリートのセカンドキャリアを支援している。

(取材/文 白石怜平)

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